江戸時代の俳人、松尾芭蕉が日本三名湯の一つとして絶賛した山中温泉。
『山中や 菊は手折らぬ 湯の匂ひ』
西暦1689年に芭蕉が山中温泉に8泊9日で訪れた際、紀行文『奥の細道』で残した俳句です。
意味は江戸の当時の人は湯に入る際、薬効を効かす為に菊の茎を折って湯船に浮かべたと言われていますが、山中温泉はその様な菊の茎をわざわざ折る必要がないと思えるくらい薬効のある温泉の香りがする。
といった感じです。
芭蕉が深く愛した山中温泉。
その見どころを山中温泉在住の管理人がご紹介します。
今回ご紹介させて頂くのは「長谷部神社」です。
前回ご紹介させて頂きましたように山中温泉は、今から約1300年前、飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍された高僧「行基」によって開湯されました。
その後。山中温泉は度重なる戦により荒廃してしまいます。
鎌倉時代初頭、能登の地頭を務めていた長谷部信連(はせべのぶつら)が源頼朝の令により加賀地区を平定します。
その功績を称えられ、頼朝より加賀の地頭職に命ぜられます。
信連が鷹狩に山中を訪れた際、傷ついたしらさぎが足を湯で癒していました。
この出来事をきっかけに山中温泉が再興されました。
こんな逸話が残されています。
ある日、信連が鷹狩の途中、葦の草陰で痛めた足を湯に浸す白鷺に気付き、そっと近づいた。
白鷺は美しい乙女に変わり、薬師如来の化身と伝え、その昔、行基菩薩の湯ざや建立を信連に語って聞かせ、湯の再興を促したという。
信連が湯壺を掘ると薬師像が出てきた。
早速湯ざやを立てて薬師像を安置した。
なんとも神秘的な由来をもつ山中温泉ですが、その長谷部信連を御祭神に祀られているのがこちらの長谷部神社です。
元々長谷部信連の肖像はその功績を称え、医王寺に武建霊神として祀られていました。
明治9年に長谷部神社と改称されて、同9年には社殿が造営されています。
ところが驚くべきところにその後地域住民による争奪戦が行われ、一時薬師山の白山神社に移されます。
昭和19年に現地に再び移転鎮座され現在にいたります。
しかし争奪戦って…。
宗教抗争!?
この平和な山中温泉にいったい何があったのでしょうか(笑)
まぁ現在も一定数の気の荒い荒猛者達が温泉地で幅を利かせているのは否めませんが(失礼)
ということで温泉の恵みに感謝して参拝します。
敷地内の麓は広場になっていて子供の頃の遊び場でした。
その頃、温泉を掘ろうと地下をボーリングしていましたが残念ながら温泉は出なかったようです。
苔むした参道。
しなびた感じがたまりません。
紙谷用水。
本殿に入る前の結界です(笑)
本殿
温泉の恵みに感謝します。
お稲荷さん
静かに祈ります。
麓の「和酒BAR縁がわ」さんは利き酒師厳選の銘酒を楽しむ事が出来ます。
山中温泉お立ち寄りの際は長谷部神社へ参拝してみては?
ではまた。
長谷部神社
住所 922-0129 石川県加賀市山中温泉南町ロ2-2
アクセス 山中温泉菊の湯前から徒歩約10分。ゆげ街道近く。
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