Atsushiです。
ご紹介致したい方がいます。
伊藤健詞さん。
Profile
1970年3月14日生 (51歳) 石川県加賀市在住
公営競技の一つ『競輪』の現役選手。現在S級2班で奮闘されています。
参考URL伊藤 健詞選手
今回は伊藤さんとの『水無山』登山の記録とその会話録をご紹介させて頂く企画です。
それではよろしくお願いいたします。
昭和34年1月20日、山中町町営ロープウェイが完成し、『水無山』山頂には遊園地が併設され、冬はスキー場として賑わっていました。
しかしその後、経営が悪化し民営化され、全国各地には大型レジャー施設が台頭し始めました。
この施設も時代の波には抗えず、昭和52年にあえなくその幕を閉じたのでした。
今では当時の面影は見る影もありませんが、山頂付近には朽ちた展望台が一棟、今もなお残されています。
伊藤さんは数十年前、水無山の麓にロープウェイの朽ち果てたゴンドラが放置されていた記憶がおありで、是非とも水無山の頂にある展望台を見てみたいとのご希望でした。
そこで同学年の知り合いである私がご案内させて頂くことになりました。
水無山(標高349m)は山中温泉国道364号線沿いにある『国分山 医王寺』の境内から登ります。
悠々と鯉が泳ぐ澄み切った池の隣りに登山口があります。
登り始めの登山道には流石、日本三薬師に数えられている霊場らしく、数多くのお地蔵様が安置されています。
ゆっくりと登りながらインタビュー開始です。
Atsushi(以下A)「現役競輪選手という事ですが、正直51歳というご年齢はピークダウンされる時期をとうに過ぎていると思うんです。体力の衰えを実感することはありませんか?」
伊藤さん(以下伊)「今のところ感じていません。」
この即答された言葉に驚愕!
A「親御さんが競輪選手だったとか?」
伊「いえ。全くそう言う事は無くて、中学生の当時、進路については深く考えていました。近くの書店で本を買って独学で競輪学校(現:競輪選手養成所)に入学しました。」
A「ご自分の力だけで勝負の世界に挑まれるとは凄いですね!」
話に引き込まれていたら分岐を通り過ぎてしまいました。
通り過ぎた道の突き当たりには半ば朽ちた稲荷神社が鎮座しています。
50メートル程戻って再び登り始めます。
A「高校時代はクラブ活動は何をされていたのですか?」
伊「いえ。何もしていなかったんですよ(笑)」
私にとっては驚きの連続で返す言葉もありませんでした。
さて、15分程登ると少し開けた林道に繋がります。
林道を登ると暫くして展望台が見えて来ました。
その2へ続く・・・。
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